2012年8月14日火曜日

書評『菊と刀』R.ベネディクト

米国の文化人類学者による日本人の国民性の研究。

第二次大戦中に米国政府の指示のもと対日占領政策に役立てる目的のために研究を行った経緯がある。
そのため、日本国内でのフィールドワークはなく、専ら日本の書籍や米国の日系人や日本人捕虜へのインタビューを分析材料とした、完全なるアウトサイダーの視点から書かれている点が本書の特徴。

日本人の国民性の本質として著者が挙げているのは、恩、義理、恥の3点。
要約すれば、恥という強制力に基づいた恩の貸借と義理の履行が日本人の行動原理、というのが著者の分析。
それら3点は、程度は変わっても現代の日本でも当てはまるものであり、鋭い。

ここでは、恥について考えてみたい。
著者は、行動規範の観点から、
・米国を”罪の文化”(個人の罪の意識、という内部の視点が行動を規定する)
・日本を”恥の文化”(世間にどう見られるか、という外部の視点が行動を規定する)
と分類している。

”恥の文化”の象徴が横並びであり、出る杭は打たれるの諺通り、個人の突出を認めない横並びが日本社会の特徴だったと思う。

空気を読むという言葉に見られるように、現代でも”恥の文化”の影響力は残っている。
他方で、世代間格差・世代内格差の拡大は個人の横並びを困難にしているし、グローバル競争の激化は企業に横並びをする余裕を奪いつつある。
そう考えると、”恥の文化”も消滅に近づきつつあるのではないか

近年は芸術やスポーツの分野で世界的に卓越した実績を残す若い人間が過去と比べて明らかに増えているが、そのような突出することを恐れない個人はその表れとも思える。

友人が別の書評で、個人にとっての”内なる神”という概念を紹介していた。
”罪の文化”における内なる神は、キリスト教等の宗教上の教え・規範が該当するだろう。

”恥の文化”が消滅した場合に、宗教なき日本人にとっては、何が内なる神になり得るのだろうか?
自己中心いう誤った個人主義の危険を避ける意味でも、ある程度の社外的意義を伴った信念、のようなものが内なる神のヒントになるような気がする。

0 件のコメント:

コメントを投稿