2012年6月20日水曜日

書評『イマココ~渡り鳥からグーグルアースまで、空間認知の科学』C.エラード

伝書鳩が遥か彼方まで迷わずに飛んで行ける一方、人間がごく狭い範囲でも迷ってしまう事があるのはなぜだろうか?
それは空間を認識する方法や能力に違いがあるから。

本書は、空間を、特に人の空間への関わり方をテーマとした一冊。
人が空間をどのように理解・認識しているか、その独自性を動物との違いも明らかにしながら考察している。

人の空間認識の特徴は、目に見える空間を頭の中で分割して構成し直す点にある。
つまり、意識していなくとも、頭の中に現実の空間とは異なる独自の地図(メンタルマップ)を作り上げているのだ。

このような空間認識が、Web上の仮想空間の構築を可能とする一方、環境問題の一因にもなっていると指摘。
(例えば、温暖化による北極の海面上昇の映像を見ても、メンタルマップ上は自分の生活空間から切り離してしまいがち)

空間という切り口から、Webと環境問題を関連付ける発想が面白いと思う。

ここで、空間の認識とは、想像力と言い換える事ができるだろう。

確かに、web上にセカンドライフのような世界を構築できる人間が、地球の裏側の現実への強い想像力を持ち得ないのは不思議だ。

また、webの最大の特徴の1つはオープンさにあるが、実際に目立つのは閉鎖的なコミュニティ間の排他性だったりもする(例えばwebページの“炎上”)。

身近な空間にメンタルマップが限定されがちな空間認識のバイアスは、異質なものへの想像力が働きにくいバイアスに通じているように思える。

空間の繋がりを意識する事は、遠くにあるものへの想像力を働かせて理解しようとする事。
グローバル化した世界、webの時代を生きる自分達には、強い想像力が欠かせない。

書評『それをお金で買いますか〜市場主義の限界』M.J.サンデル

ハーバード白熱教室でお馴染みのサンデル教授の新刊。

現代社会の隅々まで浸透した市場メカニズムに対して道徳の切り口からの問題提起。

経済学の観点からは、市場メカニズムは財の最も効率的な配分を実現する手段である。
ただ、通常の消費財から臓器に至るまであらゆる物が市場で取引される現在、本来は馴染まない生活領域にまで市場主義・商業主義が浸透している事に警鐘を鳴らす。

お金で買うべきでない物まで商品として扱う場合、その価値を貶める事になるし、買える人/買えない人の格差を拡げる事になると。
例えば、スタジアムの命名権は場の公共性を失わせるし、大学への多額の寄付により得られる入学権は不平等だ。

正義を論じた前作も同様だが、サンデル教授の本の素晴らしさは、具体的かつ本質的な問題提起を通して読者に考えるきっかけを与えてくれる点にあると思う。

MasterCardの広告に“お金で買えない価値がある”というキャッチコピーがあったが、本質を衝いていたなと今にして気付く。
お金で買えない故に価値がある、という意味だったのだと。

市場主義に最後に抗い得るのは規範・道徳といったものだとすると、アメリカには宗教・信仰や市民意識の様な軸がある気がするが、日本はどうか?

信仰(神道)は遠い昔に捨て去り共同体も崩壊した今、日本で規範と呼べる様な軸は世間の空気しかないようにも思える。

最後に本書最高の一節を。
“市場の問題は、実は我々がいかにして共に生きたいかという問題なのだ”

書評『福翁自伝』福沢諭吉

自伝の面白さは他人の人生を追体験できる点にある。
行動から垣間見えるその人の考え方や、困難に直面した時の対処法など、様々な切り口から人生を学ぶ事ができる。

本書は福沢諭吉の自伝。
幾つも自伝を読んできたが、これは最も面白い部類に入る一冊。もちろん、慶應の出身者でなくても楽しめます。

幼少時代から始まって、長崎、大阪、江戸での生活、欧米への渡航、慶應義塾創設等々、半生を綴る。
江戸末期から明治にかけての動乱の時代を飄々と生きる姿・思考は自由人そのもので、窮屈な人生を生きる自分には目を開かれる思いがした。

必読は適塾(緒方洪庵)での勉強風景。


枕をして眠った記憶が無いと回顧するほどに、塾生は皆寝食を忘れて書を読み、眠くなったら適当に寝て、起きてはまた書を読むという生活を送る。

学ぶ、とはこういう事なのか。蘭学という未知に等しい学問への取り組みにはそれだけのハードワークが必要だったのだ。

日本の大学生は海外と比べて圧倒的に勉強時間が少ないとの調査結果がある。
ただ学生が怠惰なのだろうか?
半分は正解かもしれないが、学びの必要性を伝えられていない事の方がより大きな問題と思う。

なぜ学ぶか+どう学ぶかを示した上で、何を学ぶかを子供に選ばせる。
この程度の義務すらも果たしていない事を、大人は恥じないといけないのだろう。

2012年6月5日火曜日

書評『オプティミストはなぜ成功するか』M.セリグマン


オプティミストとは楽観主義者のことで、心理学者の著者が楽観主義を科学的に考察した一冊。

勉強、スポーツ、ビジネス、健康から大統領選に至るまで、総じて楽観主義者が悲観主義者よりも高い成果をあげている事を検証し、楽観主義の効用を説く。

そもそも主観的な概念である楽観主義と悲観主義をどう線引きするかが問題となるが、ここの考え方が面白い。

“失敗した時や不幸な出来事に直面した時に、その状況を自分にどう説明するか?”
という切り口から楽観主義を定義。
楽観主義者の説明スタイルのポイントは次の三点:

・永続性(悪い出来事は一時的なもの、良い出来事は永続的)
・普遍性(悪い出来事は特定の原因によるもの、良い出来事は普遍的な原因)
・内向性(悪い出来事は状況のせい、良い出来事は自分のおかげ)

著者は、上記の説明スタイルを習慣化すれば楽観主義は身に付ける事が可能であり、人生は変えられると希望に満ちたメッセージを送る。

つまるところ楽観/悲観の何れも思考様式の問題であって、思考様式は習慣の積み重ねで形成される。

“習慣の奴隷”としての人間の弱点を逆手に取って、悪い習慣を良い習慣で克服しようという逆転の発想は力強い。

ところで上記の三点のポイントから楽観主義のレベルを測れるが、色々な場面で応用が効きそう。
今の日本なら婚活などはどうだろう。
際どい状況を作り出して、男がどう反応するかをテストしたら成功のポテンシャルが分かったりしてね。

2012年6月4日月曜日

書評『3つの原理』ローレンス・トーブ

日本にも造詣が深い著者が過去の歴史的背景をタイトルの通り3つの観点から整理し、今後の社会感に対して独自の示唆を行なっている内容。さすがに、10ヶ国語を話せる著者だからこそできる、各地の宗教感なんどに深く触れているところが独特だと思います。 3つ原理とは、性別と年齢と社会階層という3つ視点から歴史を深堀していきます。 1つ目の性別という切り口は、生物学的な男女ではなく、男性的と女性的という感覚を陽と陰で表現することで、 優劣の関係のないという点と、過去の歴史的な流れとして、時代ごとに陽と陰のどちらの方が社会の中心で、 今後は、どちらが優勢になっていくかという分析を示している。 2つ目の年齢という観点は、社会全体の成熟度を人間の年齢で表現するもので、それぞれの世代の特徴を、 各時代の社会性や動向を表現している。 3つ目の社会階層が、著者が最も伝えたかったことの量で、前述の2つの原理と絡めて解説がされている。 本書の中では、階層をカーストと表現しており、以下の4つのタイプ徐々に変質してきている。 「宗教・精神のカースト」→「戦士のカースト」→「商人のカースト」→「労働者のカースト」 各カーストは栄枯盛衰があり、徐々に主たる価値観が変わってきている。 現在は、労働者のカーストから次のカースおtに移り変わろうとしている段階。 次は、これまでの「労働者のカースト」の影響を受けながら、「宗教・精神のカースト」に移行するという。 ただ、過去の「宗教・精神のカースト」に退行するのではなく、神のような偶像崇拝になるのではなく、 精神的な成長を加速させるための、個々人が心の成熟度を高めていくというもの。 最初にこの本を読んだののが、今から5年位前だが、今読んでも十分価値のあるもの、「ソーシャル」、「ノマド」などに 代表される新しい社会的な価値観にも通じるものがあると感じる。 一番衝撃の走ったのは、「内なる神」という言葉。絶えず変わりゆく独自の一貫性と自分にしかできない正しい行動を示してくれるのは、自分にしかないというもの。